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雨は雨として…

 僕の後ろで、静かに雨が降っています。 太陽系では、僕たちの住んでいる地球だけに雨が降ります。 月にも火星にも降らない雨が…

それはエネルギーのかたまりである太陽と、絶妙な距離にある地球だから起こりえる奇跡…   その距離が少し違えば、僕たち生き物は生きてはいけません。雨、一つとっても奇跡の上に、日々、僕たちは生きています。 アリゾナ州に住んでいた時には、ほとんど雨が降らなかったから、ASU(アリゾナ州立大学)の通学の帰り道、車のフロントガラスに雨が流れた時には「ワイパー動くのか?」と、少し不安にもなったけど、次の瞬間、フロントに流れ落ちる、雨の雫を眺めながら、ある種の感動がありました。 昔から、農耕で生きていた日本人は、雨に対しては深い思い入れがあったのでしょう。五月雨、小夜時雨、梅雨、夕立、にわか雨、春雨、土砂降り、秋雨も…思いつくだけで、こんなにもあります。 《 梅雨の坂 人なきときは 水流る》 西東三鬼 人が意識する、しないに関わりなく、雨は地面に降り続けるのです。僕の町にも、君の町にも、忘れさられた小さな路地にも…今日も、どこかでシトシトと…

自然は素直です。雨は高きから低きに流れるし、アイツは嫌だから、アイツの上に降ってやらないとも、この人好きだから、優しく降ってあげようともしない。 ユーミンの歌に、恋人にフラれた女性が 🎼 冷たい雨に降られて、街をさまよったの…♪ という歌詞がありました。そうだね、雨は人間関係みたいに「忖度(そんたく)」などしない。 自然は、誰にも平等だから… 雨は雨として、自分らしく振る舞っているだけ。それが雨のアイデンティティでもあるかのように。雨のように、人も時には、自分らしく生きればいいね。 自分らしく生きれば、人が人として、自分らしく生きている事にイライラしないから。嫌なあの人も、苦手な上司も、わがままだなぁと思う家族の言動も、きっと、その人達は、その人達として生きているのだし「なんで、あんな言い方、態度なの💢」と怒ったところで、雨が空から降るように、その人は、その人らしく生きているだけなのだから。 自分が、どこかで我慢して生きている人は、我慢して生きていない人が許せなくなるし、自分が周囲の顔色をうかがい、ムリして生きている人は、周囲の顔色なんか気にしないで、自分の思った事を、ズケズケ言う人にイライラしてしまう。自分のしたい事が出来ない人は、自分のしたい事だけをしている人に、ある種の嫉妬をしてしまって眠れなくなります。 ただ、ムカッ💢とするだけではく「そんな生き方もあるのね」と、自分にない材料として、少し取り入れてみたりしてごらん。そうすると、君の生きる世界は少し広がるかもしれません。 それに、その人は、その人として生きているだけだから。それほど、傷ついている、あなたの事など、残念ながら気にもしていない。

なら、その人の事で、いつもイライラしているのは、あなた自身の責任! 誰かが(外の世界)、君をイライラさせているって?!それは違うね☝  大切な限られた時間(寿命)の中で、君がいつも、何かを取り上げて「怒りの💢にらめっこ」しているだけ。それは自己責任なんだよ。  

  《ゲシュタルトの祈り 》

 あなたは、あなた。私は、私。 あなたのために、私はあるのではないし、 私のために、あなたもあるのではない。 たまたま、何かの縁として出会えた事は素晴らしい。 でも、互いに、自分たちの人生をまっとうしましょう。 by フリッツ・パールス

人は色んな、色とりどりの出来事に出会います。それを材料にして、人は、本来の自分自身(セルフ)に、近づくと言っています。 by カール. G. ユング

 雨は雨として、隣人は隣人として、僕は僕として生きる。

 そして、君はどう生きるのか?

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