ハンパ癖
- Bunnyz Web Design
- 2013年8月1日
- 読了時間: 4分
マイナスな感情を持たない。 つねに前向きに生きる。 夢を持つこと。 過去に囚われないで、今を楽しむ。
こんなことを言われると、落ちこむ人がいます。そう、それが思うようにできないからです。このように言われると一生懸命になり過ぎる人です。「真面目なんだよね」でもそれが、落ちこむ原因でもあるのです。僕は究極のポジティブは「できない自分」を楽しむことだと言っています。
そう、落ちこむ自分を楽しむ。前向きになれない日々を楽しむ。過去に思いをはせてタメ息をついている自分を可愛いと思う。夢なく生きている今日にも、感謝して、ただただ生きる。
それが「究極の前向きな生き方」なのです。 何事も「The best.(完璧)」ではなくて「My best.(自分のやれる範囲で)」なのだと語っています。 だから、すぐに真面目に落ちこむ人にこそ、心理学で、何度もくり返し自分を見つめる時間と学びが必要なのに、深刻になり過ぎてしまって、学びが中途半端になるのです。 窓から舞い込んだ虫を逃がそうとして、窓を開けているのに、同じ窓ガラスにブツかるだけで逃げられない。もう少しズレればいいのに…そんなジレンマに似ています。 そう、一部を見て、全体像を見ないから…いつも、人生は中途半端になってしまう。習いごとも中途半端、仕事も中途半端、恋愛も中途半端、治療も中途半端etc. 何事も、すぐに結果を求めて続かない、焦ってしまいコロコロとやり遂げないで終わっていまう。そして、最後のところで手を引っ込めてしまうから、真の宝物にギリギリのところで届かない。 いつも、変化したいと思いながら、望んでいる「輝いた自分」に永遠に出会えないで終わってしまう人。 周囲からは、移り気な、多趣味な「ハンパな人」と評価されてしまう。で、また、新たに変化を求めて、何かを始めようとして「ハンパな人生」を続けてしまう。ゲシュタルト心理学、F・パールスの言う「未完の行為」です。 「部分は、全体の縮図である」と言ったのは、スタンフォード大学のC・プリブラムです。そう、日本語では「一事が万事」とでも言うのでしょうか。その人が生きる、小さな習慣が、長い人生を物語るのです。 いつも、こんなかたちの辞めかた。いつも、同じような別れと破局。似たような後悔が、人生の中で くり返し続いて行きます。
そのようなくり返しの人生を心理学者E・バーンは「人生脚本」と呼びました。それは一度書いた台本のように、人は同じパターンを人生で、くり返すようになるのです。 ですから、落ち込みグセのある人は「前向きに」と、教えられると前向きになれない自分を責めて後ろ向きになります。「過去に囚われない」と言うと、過去に囚われている「自分に囚われて」またもや苦しくなる。 そう、すべてにおいて「気真面目な人」なのです。でも、その真面目さが間違っている、というところまでは学ばないで、中途半端で終わってしまうのです。 僕はカウンセリングや、心理学を教えていて残念でならないのは、こんなループに落ちこむ人たちです。 変化に、たどり着く前に、あきらめてしまうことが特徴です。本題に入る前に、結論を出して離脱する。 「縁なき衆生は、度し難し」と言いますが、助けようと手を差し出しても、手を引っ込める人(縁なき人)は、誰も助けらない(度す)と、人には言ってはいます。…そう自分にも「お前が完璧主義になるなよ」と言いきかせてもいます。 すべての人生は相手が決めること… 最後にアドバイスとして「ハンパな人生」から抜け出す一つのヒントは、僕は、ある時期から、どんな小さなコトでも「すべてを完結させる」ことを心がけるようになりました。「最後までは結論は出さない」それだけを心がけました。 すると、いつの間にか「あきらめない人」「やりとげる人」「最後には結果を出す人」と周囲から評されるようになっていました。 自分自身でも「ヘーっ、そうだっけ俺は⁈ 」と驚かされます。少しの変化が、人生を変えて行くのです。 今なら、プリブラム博士の「部分は、全体の縮図である」という言葉の意味の深さが身にしみて分かります。 あ、そうそう。でもね「やりとげなければならない!」はやめようね

やりとげられなかった自分も楽しむ、それがメンタルだから。 途中でメンタルに、来れなくなった人にエールを送ります!

暑い時は、ひと休み、ひと休み、一休さ~ん! ??? ん?
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